空を拓く コメント

郭茂林さんの構想力 建築家 安藤忠雄

郭茂林さんは、その生き様を通して、次の時代に生きていく人たちに「可能性は自ら切り開くものだ」という強いメッセージを残した。郭茂林さんのドキュメンタリー「空を拓く」は、その人生に深く切り込んだ内容で、とても面白かった。
故国台湾を後にして、日本で自らの地位を確立するのには随分苦労されたことと思う。常に目標を持って、新しい世界を切り開きながら、大変難しいことに挑戦され続けた。自分の仕事に自信と責任感を持たれていたから、郭茂林さんの笑顔は、いつも魅力的だった。
40年前、林昌二さん、西澤文隆さんらと一緒に台湾を訪れた時、案内して下さったのが郭茂林さんだった。初めてお会いした時の印象は、夢を追い続ける苦労人。しかし仕事に対して決して妥協を許さないその厳しい姿勢は、会話の中からもひしひしと伝わってきた。
独学で建築の世界に飛び込み、学歴も社会的基盤もない私に、「今は何も見えず、不安かもしれないが、夢を持って走り続ければ、必ず目指すべきものに焦点が合う時が来る。それまで頑張りなさい。」とにっこり笑って下さった。その笑顔は今でも忘れられない。
いわゆる地震国である日本において、高層建築の計画は、技術的に大変難しいと言われてきた。そんな中、霞ヶ関ビルの竣工は、日本に新しい時代が訪れたことを感じさせた。材料、構法、法律に至るまで、緻密な検討が繰り返された。新しい技術の導入によって実現した霞ヶ関ビルは、その後の高層建築の礎(いしずえ)であり、同時に日本の20世紀を代表する建築の一つとなった。
郭茂林さんはスタートの段階から深く関わり、プロジェクトを推進した。この壮大な計画を、最初に構想されたことに感銘を受けた。時は1964年、東京オリンピック開催の年。この頃日本は、敗戦から立ち上がり、経済成長の真っ只中にあり、活気に溢れていた。霞ヶ関ビルの存在は、日本が世界を目指して飛躍するその象徴のようで、一般市民から技術者まで、見る人全てに強烈なインパクトを与えた。
昨年、台湾を訪れ、李登輝さんと対談した際に、郭茂林さんの話になった。李登輝さんもまた、郭茂林さんの構想力と、人間に対する深い愛情に感銘をうけた一人だった。
郭茂林さんは、早くからアジアの時代の到来を思い描いておられた。日本、韓国、中国、台湾、ベトナム、インド…。「これまでも、これからも、アジアはひとつだ。」そうおっしゃっていた郭茂林さんは、今後のアジア諸国の発展を支えていくのは、構想力と技術力だということをしっかりと認識されていた。
同時に、資源・食料・エネルギーには限りがあるのに、アジアの急激な発展が、人口増加を招くことも懸念されていた。このままでは、人類は破綻をきたすことが目に見えている。構想力を持って臨まない限り、新しい世界を切り開くことなど出来ないと、いつも訴えておられた。
「全力で生きている限り必ず明日は来る。頑張れ。」郭茂林さんから頂いたメッセージは、今も私の心に焼き付いている。独学でこの世界に飛び込んだ私が、今日までなんとかやってこられたのは、郭茂林さんの教えによるところも大きい。

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郭茂林という人 工学院大学教授 東京大学名誉教授 藤森照信

隣り合う国と国の交流にはさまざまなことがある。山もあれば谷も崖もある。そうしたなかで、絶えず続き、続けるべきは科学と技術の交流に違いない。科学と技術には、政治やイデオロギーや社会的なことを越える本質が秘められているからだ。東アジアにおいて、そうした交流を体現した人物を探すなら、いろんな分野にさまざまな人が隠れているが、誰の眼にも見える成果を挙げた人となると、やはり郭茂林を第一としていいだろう。1921年、日本統治時代の台湾に生まれ、台北科学技術大学を出てから日本に渡り、第二次世界大戦中の困難な中で、若き日の丹下健三ほかと切磋琢磨している。
建築という総合的領分は、構造や材料やデザインや歴史などさまざまな分野からなるが、そんな中で郭青年が、師の岸田日出刀教授の下で学んだのは、どんな建築をどんなやり方で作るかという計画学の分野だった。この分野は、都市と建築の中での客観的な人と物の動きの分析を基本とするが、それだけでなく、人の心の動きや人と人との繋がりについての深い洞察を不可欠とする。
この経験が、戦後、役に立つ日が来た。日本に初めての超高層オフィスビルを建てることになり、構造の武藤清教授をはじめ東大の建築の各分野の教授が集まる。みな一国一城の主である。そうした中で、まとめ役を果たしたのが郭茂林だった。霞が関ビル建設の中核をなしたのはKMGという組織で、Kは霞が関、Mは施主の三井から来ているが、カクモリングループと建築界では語られていた。
建築学に詳しいことに加え、温厚で我慢強い人柄も日本初のプロジェクトのエンジン役には欠かせなかったに違いない。
1968年(昭和43年)、霞が関ビル完成の後、日本各地の超高層ビル建設と都市改造に成果を挙げ、さらに台湾において、1982年、台湾初の100mを超える高層ビル「台湾電力ビル」の設計かつ建設指導をし、引き続きさまざまな計画に参加し、台湾都市の近代的改造に尽くしている。
超高層ビルは、現在、どの国でも大きな問題に直面している。人間にとってふさわしいビルとは都市とは、ただ高密度であればいいわけではない。それでは“情報の工場”に過ぎない。
これからの超高層がどんな方向に舵を切るか、2012年4月に没した郭茂林は、東アジアの天上から、あの温かい視線でじっと見ているに違いない。

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